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5. 驚異の生物クマムシとアカントアメーバ
1:無関係に見える生物現象に意外なヒント、まさかと思うものに潜む危険なワナ
今回は、一見無関係に見える驚異の生物現象に、思わぬ課題を解決するヒントを生む可能性があるかもしれないという話題と、身近に潜む微生物でありながらその共生連鎖の一角に、実は危険な事態が予測される微生物連鎖が存在するかもしれないという話題を紹介する。高等生物が持つ難題は、その生物自身によって直接解明されることよりも、現象を単純化しやすい類似した下等生物における生物現象の方が解明の糸口を与えてくれることが多い。したがって、研究では実験動物の選択が実験の成否を握る重要事項の一つといわれている。生物の代謝機構も、意外と全く関連性がないと思われるような生物から機構解明を導かれることが多い。しかし、このような生物現象の解明は想像もつかないくらいに異質な生物間での類似現象であることも少なくない。これがまた、研究者の研究手腕の醍醐味なのかもしれない。これから、以下に紹介する生物機能についても皆様がそれぞれ具体的な応用構想を想い浮かべながら読んでいただきたい。
2:クマムシとアカントアメーバのシスト
この地球上には、極限環境に対し、とてつもなく強靭な生物が存在する。まだ地球上の生物については十分には解明がなされてないので今後解明が進めばもっと驚くような生物が存在するかもしれないが、ここでは、驚異の生命力を持つクマムシと、もう一つは、私達の身近な環境に存在し、感染の危険性が高い細菌と共生するアカントアメーバのシストを挙げる。クマムシは極限の環境変動への生命の耐久力の観点から、微生物検査の担当者には馴染みが高いアカントアメーバのシストは物理・化学的殺菌剤への抵抗性と細菌内包(共生)による危険性から選んだ。
3:宇宙線を浴びたクマムシ、宇宙旅行から生還
まずは、クマムシについてであるが、欧州宇宙機関(ESA)が2007年9月に打ち上げた宇宙実験衛星『Foton-M3』に搭載され、いろんな実験が行われた。そうして、この地球上でもっともタフな生き物が宇宙旅行から生還した。宇宙旅行から生還したといっても驚くことはない。日本人だって毛利さん、向井さん、若田さん、土井さん、星出さん、山崎さんなど多くの方が宇宙に行って生還しているではないかと思われる方が多いと思うが、クマムシの宇宙旅行はその晒された環境が桁違いに違う。軌道に達すると、クマムシの容器は開けられ一部は低レベルの宇宙線だけを浴びる群と、宇宙線のみでなく何も遮るものがない状態で太陽光も浴びた群とに分けられた。いずれの群も温度差の激しい真空の宇宙空間に晒されたのである。地球に戻った宇宙線だけを浴びたクマムシ群は宇宙線を浴びていないクマムシと同様のペースで繁殖した。一方、太陽光も浴びたクマムシ群の蘇る確率はそれより低かったが、一部は驚異的に生き残った。「クマムシたちがどのようにして身を守ったかは謎のままである」と、この実験を設計したRettberg氏は『Current Biology』誌9月9日号で述べている。この実験の成果は、生存に関与する遺伝子の特定が目的でこれから徐々に検証され、ヒトDNA修復に関連する機構が解明されるきっかけになると期待されている。
4:クマムシについて
クマムシについてご存じない方のために説明すると、クマムシは、界:動物界(Animalia)、上門:脱皮動物(Ecdysozoa)、門:緩歩動物門(Tardigrada Spallanzani、1777)に分類される。緩歩動物(かんぽどうぶつ)は、緩歩動物門に属する動物の総称である。4対の8脚はずんぐりとしており、ゆっくりと歩くことから緩歩動物と呼ばれ、形状が熊に似ていることよりクマムシ(英名:water bears)といわれている。また、外的環境条件の激しい変化に対しても極めて強い耐久性を持つことより、チョウメイムシ(長命虫)と呼ばれたこともある。
体長は50μmから1.7mmで、熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息している。堆積物中の有機物に富む液体や、動物や植物の体液(細胞液)を吸収して食物としている。およそ750種以上(うち海産の物は150種あまり)が知られている。
5:クマムシの超生物機能
ここでクマムシが持つ超生物機能を紹介すると、クマムシはクリプトバイオシス(Cryptobiosis)という無代謝状態の機能をもっている。クリプトバイオシスとは、自然外圧のストレスによって4つに大別される。それは、乾燥:乾眠(アンハイドロバイオシス,Anhydrobiosis)、低温:凍眠(クライオバイオシス,Cryobiosis)、高浸透圧:塩眠(オズモバイオシス,Osmobiosis)、酸素不足:窒息仮死(アノキシバイオシス,Anoxybiosis)に分けられる。クリプトバイオシスとは、自然環境が悪化し、その外圧に適応するために無代謝状態(乾眠、凍眠など)になれる機能をいう。実際的には、通常は体重の85%を占める水分を0.05%まで減らして極度の乾燥に耐える。151℃の高温からほぼ絶対零度(-273℃)の極低温まで耐える。圧力に対しては、真空から75,000気圧という高圧に耐え、アルコールなどの有機溶媒にも耐える。さらには、高線量の紫外線、X線などの放射線にも耐える。X線の致死線量は57万レントゲンといわれている。ちなみにヒトの致死線量は500レントゲンである。
クマムシのクリプトバイオシス
クマムシの耐外圧適応度
6:クマムシが超生物機能を発揮するには
この、生物では考え難いような外的環境の悪化に耐えるクマムシも、瞬間的変化には耐えられません。ヨコズナクマムシの場合は1時間ほどかけてゆっくりと乾燥させ乾眠状態にしなければ簡単に死んでしまう。通常の形態の数分の1の大きさの樽状に変化した状態を乾眠と呼び、極限環境に耐える能力を発揮する。また、乾眠状態のクマムシに水をかけると、数分から数十分で活動を始めるといわれている。このようなクマムシの寿命は種類によって異なるが1ヶ月から1年程度といわれている。しかし、乾眠状態で過ごした時間は寿命には含まれない。飲食なく9年、また、20年の凍結保存後に復活した記録もある。
ほかにこのようなクリプトバイオシスを示す生物としては、線虫、ワムシ、アルテミア(シーモンキー)、ネムリユリカなどが知られている。
7:超生物機能の発現機構
クマムシは乾燥状態になると体内のグルコースをトレハロースに作り変えることができ、このトレハロースが乾眠するのに重要な役割を果たしているのだろうと推測されているが、まだ詳細についてはわかっていない。トレハロースは、高い保水力を持つ糖類で、粘性が高く、ガラス化温度が高い、という特徴がある。このトレハロースの分子構造上の特性のため、生体での水分が媒体となっている変化や反応速度を下げるなどの効果がある。事実、乾眠中の生物の一部からトレハロースが高濃度に蓄積することが確認されているが、乾眠中のヨコズナクマムシからはトレハロースの蓄積は確認されないと報告されている。近年、ヨコズナクマムシから水溶性の高い3つの特殊なタンパク質が発見されたが、これらのタンパク質は、活動中と乾眠中での大きな濃度差は見られないことより、乾眠中のみ高濃度となるトレハロースとは異なり、極限環境への迅速対応のための常備成分として機能している可能性が高く、今後、詳細な機能解明なされるものと思われる。
8:クマムシ研究による成果への期待
このようなクマムシの超生物学的な機能を解明することにより、例えば乾眠機能の機構解明による乾燥赤血球研究への応用、輸送や保存を目的とした動・植物性の乾燥食品の製造研究、さらには、強力な放射線照射に耐えることにより変異遺伝子の修復機構もしくは遺伝子本体の保護機構などへの応用研究が考えられる。クマムシの機能を研究解明することにより、ヒトが通常の生活の中で受ける遺伝子変異の修復強化、もしくは、今後、起きる可能性がある放射線照射事故や戦争後遺症への対処法なども考えられる。また、種の保存や遺伝関連物質の安定な保管法など、これらの機能を研究解明することによる応用範囲はきわめて広範囲に渡る。
代用生物の機能解明によりもたらされることは意外と多く、身近な例では、線虫を用いたアポトーシスの研究やショウジョウバエを用いた遺伝間因子の解明などが良く知られている。われわれが行う臨床検査分野でも、直接的な患者試料の分析だけでなく、分析後の試料の保存や現行法では分析できない臨床試料の保管、採取直後の代謝を停止させた細胞の成分保持など応用域は山積していると思われる。このように一見類似性は見られない生物機能を解明することがヒトなどほかの生物への有益な情報貢献となることが考えられる。また、哺乳類などの世代交代が長い生物では何世代にも渡る影響は観察が困難であるが、比較的世代交代が早い下等動物や微生物では、機能解明と遺伝解明という複数の視点から評価できる利点がある。
まだ、クマムシの研究は歴史が浅いためもっと驚くような機能が発見されるかもしれない。これからの臨床検査は、難問解決の手段としてこれらの生物機能の手助けを借りるのも有効な方法の一つかもしれない。また、時にはちょっとだけ検査室から足を踏み出し、道路のコケの中に潜む顕微鏡下の不思議な世界を覗くことも意外なヒントを生み出だすかもしれない。
9:汚染コンタクトレンズ洗浄液の角膜炎で知られたアカントアメーバ
次に、アカントアメーバの驚きの一面を紹介する。アカントアメーバ(Acanthamoeba)は、アメーバ型の原生生物の一種で土壌や淡水、海水など自然界に広く分布しており、公園の砂場や家野の室内塵などヒトの生活環境下から高率に分離される。細胞の大きさはおおよそ15~35μm、不定形。先端が丸く半球状の短い多数の仮足が細胞表面から伸び、このとげとげした仮足の形から命名された(acanth-;棘、突起)。アカントアメーバ属の大半は、レジオネラ菌の捕食で知られるように細菌類を捕食する従属栄養生物で、生活環の中でシストを形成し、このシストの形状によって属内や近縁属との分類が行われている。
今回の驚きの一面もこのシストが持つ驚異の能力に関連したものである。シストの壁は二層構造で、外側には緩やかに凹凸した厚い壁が、内側には多角形状の壁が、シスト壁には蓋のある孔がある。一部の種はヒトや動物に対して角膜炎や脳炎などの感染症を起こすことが知られており、良く知られた感染症には、汚染コンタクトレンズの洗浄液による角膜炎がある。アカントアメーバに起因する角膜炎は必ずしもコンタクトレンズの使用に伴うものだけではなく、コンタクトレンズを使用しない国での発生も報告されている。また、アカントアメーバはクーラーの冷却水中のレジオネラ菌が寄生する宿主?アメーバとしてもよく知られている。
10:アカントアメーバのシストは物理・化学的殺菌剤に強い抵抗性
このように、身近に存在するアカントアメーバは、栄養型、シストと変化するその生活環の中でシストは消毒剤や苛酷な外部環境に対し極めて強い抵抗性を示す。シストは、常に家庭の浮遊ゴミや公園などの砂埃の中など私達の身近な生活環境中に存在している。したがって、正しいコンタクトレンズの洗浄液管理を怠ると簡単に混入し増殖する。しかし、生活環境中には、カビや細菌なども多く存在するのにアカントアメーバのシストをとりあげた理由は、アカントアメーバのシストは熱耐性で100℃60分間の加熱でも死滅しないからである。また、紫外線は50mJ/cm2以上のUV(UVC:254nm)照射量を必要とする(栄養型のアカントアメーバもUVに強く30 mJ/cm2以上のUV照射が必要といわれている)。さらに、化学的薬剤に対しては、70%、90%アルコール、5%次亜塩素酸ナトリウム、3%、10%ホルマリン液、5%ポピドンヨード液、2%、5%、10%グルタールアデヒドなど汎用される殺菌剤で24時間の処理でも死滅しないと報告されている。
物理・化学的殺菌剤に強い抵抗性を持つアカントアメーバのシスト
11:頑強なシスト壁に守られた?共生細菌の存在
さらに、近年この強靭な物理・化学的抵抗性を示すシストの中に細菌が共生していることが次々と報告されている。共生が確認された細菌は、大腸菌、レジオネラ、MRSA、結核菌などヒトの重篤な感染症の起炎細菌である。さらに、共生した細菌は病原性が強い、増殖性が高いという報告もある。このことが、なぜ重要かというと頑強な外壁に保護された共生細菌はシストが示す、前述の物理・化学的抵抗性がシスト同様に保持されている可能性が高いということである。
これらの現象を総合的に考えると、理論的には有効性が高いはずの消毒剤が思うような効果を発揮しない院内感染事例や感染源が不明な感染症の発症などとの関連性が推察される。しかし、これらの研究はまだ途についたばかりでありこれから詳細な検証が進むものと思われる。さらに、近年、栄養型アメーバへの共生菌がアメーバのシスト内でも生存できることが報告された。このことは頑強な外壁に守られたシスト内細菌が同様に苛酷な物理・化学的な外部環境に耐えうることを意味する。これらの事実検証と同時にアメーバが捕食する細菌への対策、アカントアメーバの生活史の中で比較的消毒効果の高い栄養体での殺菌法およびシスト共存細菌の調査法などを確立し、新たな感染症防止策を講じる正確な情報提供が急がれる。このように、予想困難な微生物の共生連鎖を調査解明し、迅速な対策を講じることも臨床家としての専門家集団の使命と思われる。
参考文献・web site
- 緩歩動物(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- たくましいクマムシ
http://www.edu.city.kyoto.jp/science/online/nature/15/index.html - 「地球最強の生物」クマムシ、宇宙でも生存可能:WIRED NEWS
http://wiredvision.jp/news/200809/2008090922.html - 極限環境に耐えるタフなやつ
http://www.spork.jp/?p=749 - Acanthamoeba(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- アメーバに潜むレジオネラ属菌 - 大阪府立公衆衛生研究所
http://www.iph.pref.osaka.jp/news/vol32/news32_2.html - Horn, M, Wagner, M (2004 Sep-Oct). "Bacterial Endosymbionts of Free-living Amoebae".Journal of Eukaryotic Microbiology 51 (5):509-14. PMID 15537084.
- 宮本 比呂志、ほか; Legionella pneumophila のAcanthamoeba 内増殖を調べる定性検査法(アメーバ寒天法)の開発;感染症誌 77:343-345(2003)
- Press Release - 28 February 2006: MRSA use amoeba to spread, sidestepping hospital protection measures, new research shows
http://www.bath.ac.uk/news/articles/releases/mrsaamoeba280206.html
イラスト/菅原 智美
2010.12