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検査室支援情報
検査の樹 -復習から明日の芽を-
3. 酵素:巧妙な物質代謝
1832年にA・パヤン (Anselme Payen) とJ・F・ペルソ (Jean Francois Persoz) により、最初の酵素としてジアスターゼ(アミラーゼ)が大麦の芽から単離・発見され、以後、多くの研究者によって次々と酵素の発見が続いた。また、これに伴い、酵素の機能や構造など酵素学自体の解明や応用も急速に進展を遂げた。 今や酵素は、臨床検査において、診断学および治療評価の指標として不可欠であると同時に、酵素自体が投与薬剤や検査試薬および洗浄剤として広範な領域に使用されている。一方、生体内では、巧妙な物質代謝の主役として、重要な生命エネルギーの合成や物質の異化にかかわっている。この酵素反応の不思議な魅力を知るとともに、その本質の理解を深めるべき必要上からその一端を整理してみた。
1:酵素は触媒作用をもつ生体高分子(タンパク質)
酵素(enzyme)は生命の基盤となる生体成分の生成・分解・異化反応などを特異的に触媒する生体高分子(タンパク質)で、分子量は1万くらいから数百万に達するなど広範にわたる。近年になり、生体内で触媒反応を示すものがRNAの中にもRNAの加水分解反応を高い特異性で触媒するリボザイムというタンパク質以外の触媒作用の存在が判明した。
特異性の高い触媒作用を示す生体高分子の仲間
2:生命維持に重要な代謝サイクルを担う酵素
酵素は、生命維持に必要な有機生体分子である核酸、アミノ酸、脂質および炭水化物などの生合成や消化・吸収・代謝から異化・排出までに関与し、あらゆる工程の触媒反応を担っている。生体内では、物質の生合成や異化反応または免疫反応や生体情報伝達反応、エネルギー転換反応、DNAの合成や複製反応など多くの反応が、代謝サイクルとして連鎖的に絶え間なく作用し、生命の維持恒常を保っている。
3:酵素反応の特性
酵素は、これら数万にもおよぶ生体反応を必要な時に必要な量を必要な速度で整然と連鎖的に作動して、 細胞や生体の生命の恒常性を保持している。また、酵素は、混在する生体内の多種多様な物質の中から作用すべき物質(基質)を正確に選び、 一つの化学反応のみを触媒する反応特異性を持っている。
酵素の高度な基質選択性と反応選択性は生体の高度な恒常機構を保持するためには不可欠なものである。 このため一つ酵素が欠損した場合でも生体は重篤な事態を招くことが多い。
酵素には、反応の特異性だけでなく反応産物量と速度とを制御する機構を備えたものもある。フィードバック機構やアロステリック効果、阻害などの機構を用い、反応産物の減産調整や活性の復元を制御している。我々は、つい酵素を一つの独立した反応体と考えがちであるが、生体内ではしっかりとチーム(経路)を組んで、そのチームワーク(制御)を基に代謝経路を遂行させているのである。
4:酵素の本体はタンパク質
酵素の本体はタンパク質であるからそのアミノ酸配列の設計図はDNAの遺伝情報に基づいている。 したがって、酵素が誕生するまでのプロセスはタンパク質と同様にDNA→mRNA→タンパク質の経路をたどるのである。 酵素遺伝子のDNAに変異が生じた場合は、時にタンパク質構造に異常を生じ、酵素の活性低下や不活性化などの異常をきたすことがある。 酵素タンパク質において高次構造(三次・四次構造:立体構造)の変化は酵素・基質複合体を形成する上において活性を失う致命的な障害となる場合がある。 近年は、このように高次構造の重要性から酵素タンパク質も3Dグラフィックスを用いた立体構造の表示例が多くなってきた。
タンパク質の一般的な性質と同じく、酵素タンパク質もタンパク質分解酵素や高熱、pH、タンパク質変成剤などによりその活性を失う。 しかし、温泉や熱水噴出孔などに生息する一部の超好熱菌などの酵素は90℃付近でも活性を保持する耐熱性である。 このように、極限環境微生物由来の酵素は通常の酵素タンパク質とは異なる性状を持っているため医療分野や工業分野などへ応用されている。 臨床検査でも、約94℃でDNAを変性させ遺伝子を増幅するPCR(polymerase chain reaction)法では、 好熱菌Thermus aquaticusが産生するDNAポリメラーゼ(EC.2.7.7.7)が使用されている。 このように、耐熱酵素や微生物由来の安定性の高い酵素などが臨床検査の分析用試薬として用いられている。
しかし、このような耐熱酵素も熱には強いが、タンパク質分解酵素やタンパク質変性剤には通常のタンパク質と同様に分解され活性を失う。 例えば、臨床材料からのDNAの抽出において試料をProteinase Kで処理した後に加熱による不活化処理が不十分な場合、Taq DNA Polymeraseなどの増幅酵素が消化され、増幅反応が低下することがある。
また、酵素タンパク質のアミノ酸配列情報はDNAの遺伝情報に委ねられている。 したがって、酵素にも、遺伝上の一塩基多型としてSNP(一塩基多型:single nucleotide polymorphisms)があるが、 アレル間での1塩基の相違によって酵素活性が異なるものがある。 例えば、第12染色体にあるアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH;EC 1.2.1.10)は517個のアミノ酸から構成された4量体を形成する。 SNPとして知られている487番目のアミノ酸コドンがGAA(グルタミン酸):GタイプとAAA(リシン):Aタイプがある。 GGタイプのホモタイプに対しAGタイプのヘテロタイプは約1/16の代謝能力しかなく、AAタイプは代謝能力を失っている。 今後は、このような酵素遺伝子のジェノタイプによる活性の強弱や投与薬物代謝への関与が個々に評価されるものと思われる。
酵素タンパク質アリルのSNP(single nucleotide polymorphisms)タイプの
相違によるアセトアルデヒド脱水素酵素の活性差
5:酵素と補酵素
酵素は、構造上タンパク質のみで活性を示すものと、活性発現にタンパク質以外の補助因子を必要とするものとに分かれる。 補助因子としては、マグネシウムやカルシウムなどの金属イオンと低分子有機化合物とに分けられ、低分子有機化合物は、 酵素とゆるやかに結合するピリドキサルリン酸(PLP)などの補酵素とビオチンなど共有結合でしっかりと結合する補欠分子族とに分類される。 補助因子を必要とする酵素では、タンパク質部分のみをアポ酵素、補助因子と結合した状態のものをホロ酵素と呼ぶ。 臨床検査で測定する酵素にはアポ酵素の状態で逸脱するものがあり、測定試薬の中に補助因子を添加しないと活性を発現しないものもある。 アミノ基転移反応を行うすべてのトランスアミナーゼは補酵素としてピリドキサルリン酸を必要とする。
6:酵素前駆体-なぜ作り置き
酵素の中には酵素前駆体(zymogen)と呼ばれる不活性な状態の酵素が存在する。 酵素前駆体は、タンパク質構造の一部がプロテアーゼなどによって切断、もしくは構造変化などの生化学的変化により活性部位が作用できる状態となり、 はじめて酵素としての活性を発現するものである。口輪をはめた状態の狼を連想していただければわかりやすい。
酵素前駆体における作用例
酵素前駆体には、トリプシノーゲン、キモトリプシノーゲン、ペプシノーゲン、プロリパーゼ、プラスミノゲンなどの消化酵素や血液凝固系の酵素、 線溶系の酵素、補体系の酵素などセリンプロテアーゼ前駆体が多い。また、アポトーシスのシグナルカスケードの酵素などにもこのような構造が見られる。 さらに、特殊な例として凝固系のプロテインCのように活性化したプロテインC(APC)がプロテインSとV因子の存在下で 活性型VIIIaおよび活性型Vaを分解・失活化することにより,IXa因子によるX因子の活性化やXa因子のプロトロンビン活性化を阻害してトロンビンの生成を阻害するものもある。
活性型の酵素を直接合成しないで、あらかじめ不活性型の酵素を合成しておく酵素前駆体の意義は、必要時に迅速な対応が可能なことである。 通常のタンパク質合成はDNAの遺伝情報がmRNAに転写され、翻訳によりアミノ酸をつなぎ合わせてタンパク質を合成するため、この間、数10分~数時間がかかる。 したがって、緊急を要する凝固系反応などには間に合わない。このような場合、あらかじめ活性型へ変換するだけの酵素前駆体を合成しておけば即応が可能となる。
もう一つの利点として、前述のように酵素前駆体はカスケード反応に多く見られるが、活性化した酵素が次の段階の酵素を活性化することは、 反応の増幅が可能なことである。一つの酵素は多くの基質(次の酵素前駆体)に作用(酵素の活性化)できるので、カスケード反応の中で次々と増幅される。
さらに、消化酵素に多いことを考えると、消化酵素は消化器から分泌され、食べ物を分解して体内に吸収できるまでに消化する酵素群である。 食べ物は、種類や量が千差万別なため、必要な時に、必要な場所で、必要な量を随時、供給可能な体制を取っておくためには、 食べ物と同質な自己組織が分解を受けないように酵素は前駆体として不活性な状態で貯蔵しておく方が理にかなった策といえる。
この機構が暴走した場合の例として急性膵炎などがある。急性膵炎では、膵臓の中で消化酵素が活性化し、膵臓と周辺臓器を消化する重篤な疾患である。 播種性血管内凝固症候群も、凝固系と線溶系の酵素活性のバランスが崩れた状態といえる。
緊急事態に即応するために作り置きされている酵素前駆体とカスケード反応
7:酵素反応の調節機構
生体内での酵素活性の制御機構としては、1)酵素タンパク質の合成量を制御し、産生量を制御する場合と、2)ほかの生体分子との可逆的な作用や酵素タンパク質が修飾されることなどにより、酵素タンパク質の性質を変化させる場合とがある。1)の制御は遺伝子からの転写調節により行われるため合成終了までの時間と、いったん合成した酵素は分解消失まで寿命期間があるなど制御に時間がかかる。この例としては、細胞内のコレステロール量が減少すると、コレステロール代謝の律速段階であるHMG-CoAリダクターゼが遺伝子より翻訳生産され、コレステロールの生産量を増大させる。
2)はフィードバック阻害に見られるように酵素タンパク質の構造的な変化のため、1)よりも早い応答を示す。フィードバック阻害とは、複数の段階からなる代謝経路において、酵素の直接の基質もしくは生成物以外の代謝生成物が酵素の反応速度を制御することを示している。特に、代謝生成物が過剰状態の場合、生成物が何段階か上流過程の酵素反応を阻害し、産生を抑制する調節過程をいう。アロステリック効果などによるフィードバック阻害がかかる場合は、生産物が過剰な状態では酵素活性は低減し、生産物が減少すると酵素活性は再度復元する。また、細胞内キナーゼ類は酵素タンパク質がリン酸化されると酵素活性が発現する。前述の消化酵素などの酵素前駆体もペプチダーゼの作用を受けて活性化する。
アミノ酸の翻訳により合成されたタンパク質は、折りたたまれてその固有の高次構造を達成してはじめて機能を発揮することができる。高次構造はアミノ酸配列に規定されるため自然に折りたたまれることもあるが、多くはシャペロン(chaperon:付添いの意)という折りたたみ装置の手助けを借りる。このように、熱ショックタンパク質を代表とする分子シャペロンは酵素の高次構造を変化させることで酵素を不活性型から活性型へと導いている。
8:酵素タンパク質に目印を付け選択的に分解
タンパク質はリソソームと細胞質(サイトゾル)で分解される。酵素タンパク質も同様である。リソソームは細胞小器官のエンドサイトーシスなどで取り込んだものを細胞質と膜で仕切られた状態で分解するため、細胞質内タンパク質が分解されるという問題はないが、細胞質には分解してはいけない多くのタンパク質が存在するため、無秩序な分解は回避しなくてはならない。この機構として、機能を終えた分解すべきタンパク質や機能発現できない欠陥タンパク質などにユビキチンという小さなタンパク質の目印を付けるのである。数個のユビキチンが結合し、分解の標識が付いたタンパク質はプロテアソームというプロテアーゼの一種によって分解される。細胞質でのタンパク質分解にはATPが必要である。
9:診断学と酵素
診断学においては、病変部位の組織や細胞などを直接採取して酵素量を測定するのがより正確な情報を得る手段であるが、それは機能的、倫理的に困難である。臨床検査では、細胞内から逸脱した酵素や外分泌酵素など、本来は循環血漿中では機能していない 酵素の活性を循環血漿中の酵素活性として測定することにより、組織崩壊を示唆する指標として代用し、各種疾患の診断や予後判定に用いている。もちろん、測定酵素の一部には、凝固関連酵素など血漿中を作用場としている酵素も測定されている。さらに、今後の診断学分野における酵素分析は、活性分析のみでなく遺伝子分析との相互評価が重要性を増すものと思われる。
参考文献・web site
- 川村 越、ほか訳:カラー図解 見てわかる生化学、メディカル・サイエンス・インターナショナル(2007)
- 佐藤 敬、高垣啓一訳:キャンベル スミス 図解生化学、西村書店(2005)
- 上代 淑人(翻訳):イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書27版、丸善(2007)
- 江島洋介:これだけは知っておきたい図解分子生物学、オーム社(2005)
- 酵素反応(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 酵素前駆体(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 消化酵素(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 酵素(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- シャペロン(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 補酵素(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 対立遺伝子(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
- 酵素の化学
http://133.100.212.50/~bc1/Biochem/biochem5
イラスト/菅原 智美
2010.11