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検査室支援情報
検査の樹 -復習から明日の芽を-
15. チャレンジ! 近い将来はこんな検査をしているかも?
臨床検査は関連法律の制定から約60年の歩みの中、目覚ましい進展を遂げつつ医療分野における専門職種として確固たる地位を確立してきた。かつては自らも現場で作業に従事していたがリタイアし、今は外野席から観戦するのみのサポーターではあるが、臨床検査の進展に一石を投じ得ればと愚案を提唱したい。
今日、臨床検査は高度な自動分析機の導入とともに分析法の多様化も顕著である。さらに近年は、新しい分析技法全てが従来のように多くの施設に普遍的に浸透するとは限らず、開発機関のみで受託分析の形態を取ることも稀ではない。新規検査の開発は多大な労力と経済的負担を伴う。でき得れば、難題ではあるが、臨床検査技師自らが幅広い領域の人々とチームを編成し、現場の声と患者の意向を充分にくんだ検査を樹立することが望ましい。
立場が変わり患者側になった今では「具合が悪いのに検査値はどれも悪くない。なぜ?」「こんなに痛いのに原因がわからない。なぜ?」など、患者が抱く真意の探求心、疑念を払拭できる検査はできないだろうかとの願望も高まってくる。
無責任ながら、自分の現役時にはなし得なかったいくつかの課題について、視点を変え身勝手な推論で展開したい。また、歳月の経過による進展について行けず、思考停止した偏見と不勉強ゆえの論理性が欠如した支離滅裂な推論であることはお許し頂きたい。
本稿では、生物の検知機能を駆使した検査への助走、肥満を例とした多疾患を誘発発症する病態においての関連因子を含めた体系的警鐘と現象解明への発信、さらに、突然死発症の予測への課題と難解な3点についてシリーズ的に展開する。また、検査構築への資料提起を目的とするため、疾患および病態の解説が説明不足な点はご容赦頂きたい。 また、抜粋した文章は『』で示し、文頭・文末に出典を記載した。英文の翻訳にはGoogle翻訳を用いた。
I. 生物の検知機能を駆使した検査法
代謝成分の微弱な異変もしくは病的に傾斜した時の極めて微少な生成物など、人では知覚できない成分の存在や濃度域でも知覚可能な動物や生物はいる。ただその検知行動や検知伝達などが生物体ごとに異なるため人は理解できていない、もしくは伝わっていないのかもしれない。このためには生物種特有の知覚世界を知り、標的とする応用物を設定し、検知反応の伝達法を確立するなどの体系化が必要である。参考となる考えに、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した環世界(かんせかい、Umwelt)という概念がある1)。環境世界とも訳される。
『すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。』
『マダニというダニの一種には視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚が優れている。この生き物は森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の匂いによって感知される。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温を感じ取り、温度の方向に身を投じる。うまく相手の体表に着地できたら手探りで毛の少ない皮膚を探り当て、生き血というごちそうにありつく。この生き物にとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできているわけである。しかし血を提供する動物は、ダニの下をそう頻繁に通りがかるわけではない。マダニは長期にわたって絶食したままエサを待ち続ける必要がある。ある研究所ではダニが18年間絶食しながら生きていたという記録がある。』 (ウィキペディア(Wikipedia)「環世界」より引用)
以下に、生物たちの素晴らしい実際の知覚能力の一端を紹介する。
1:線虫C. elegansを使って、被験者尿から早期がんを検出
2015年に九州大学の研究グループが、線虫のカエノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans:C. elegans)を使って、被験者の尿から早期かつ高精度ながん検診法を報告した。これには世界が驚嘆し、診断検査の大きな転機到来を覚えずにはいられなかった。がん患者の尿が含有する、特定されていないが特有の成分をC. elegansが検知し反応するという。C. elegansは多細胞生物としては最初に全ゲノム配列が解読された生物であり、1960年代以降、分子生物学領域では数多くのモデル生物として実験に用いられてきた。嗅覚が優れ、ヒトの約3倍、イヌより多い1200個の嗅覚受容体を持ち、極めて微弱な臭気を鑑別できる超超高感度センサー機能を有する。さらにC. elegansは雌雄同体であるため増殖が容易であり、かつ冷凍保存が可能など数々の機能上の利点を持っている。
生物の応答には、対象物質の濃度レンジや試料中に共存する他の嗜好物などへの対応性など生物特有の難点も挙げられる。しかし、それは生物の特性を熟知することによりクリアできる。さらに検査としての体系では、検診作業の効率化を求め、難題とされる機械化への応用も実用化を終えて「N-nose(Nematod nose)」として驚くべき成果を遂げている。N-noseは2018年12月時点で18種類のがんに線虫が反応したと報じた2)。
機械化には生物ゆえの課題もあり、安定した検知行動のためには虫体の体調管理や環境整備が重要となる。したがって、虫体による検知作業の機械化は、作業のスピードもさることながら取扱い手技の再現が重要視されるとのことである。今後はこれらの経験則を基にさらなる向上を目指すものと思われる。近い将来、線虫の飼育が従来の試薬調製と同作業となるときがくるかもしれない。生物特有の超高感度な嗅覚機能を使った超超高感度センサーとして、疾患特有の代謝物や複雑多岐な生物の代謝反応物の検出検査に導入される日もそう遠くないかもしれない。
検査には人工センサーを導入した分析法が多い。人工センサーは検出精度の保持には最適であるが、被験試料に混在する多彩成分への応答や超高感度検出などの観点からは未だ難点もある。この点、多細胞生物の中にはこの課題を解決できそうな機能を有する生物も多い。しかし、反応成分の特定、検出行動、検出精度、飼育技術、作業への従順性、検出作業訓練の容易性および検査作業スペースなどクリアすべき課題が多いのも事実である。生物の検知機能機構を解明できれば、今日では遺伝子組み換え技術などにより別の生物に機能移植することも可能であり、その応用性は高い。
2:犬が、着用マスクから消防士の癌を検出
一般に生物の嗅覚は食べ物の検知、敵味方の判別、異性の認識など、生存に関わる感覚といえる。実際の用途および使用の可否は別として、生物機能の一端を紹介すると、最も一般的に知られているのはイヌ(Canis lupus familiaris)である。犬はその優れた嗅覚を訓練することによって、麻薬や爆発物、ヒトなどの匂いを嗅ぎ分けることができる。また特殊例として、実験的ではあるが、患者の吐く息で肺癌や乳癌を、血液の匂いで卵巣癌を、肌の匂いで皮膚癌を、さらには便の匂いで大腸癌を識別できたという報告がある。
消防士は作業の特性上、特殊なガスや未知のガスを吸い込む危険性が高く、その中には発がん性物質の存在も否定できない。消防士が作業に使ったマスクに残存する呼気成分もしくは被験者尿を嗅ぎ分けて、陽性の場合は足を挙げて示すように訓練された犬が、高い特異性と検出率を挙げたとの報告がある3)。これは、尿中または呼気中に悪性腫瘍から生成される非常に低濃度のアルカンおよび芳香族化合物を嗅ぎ分けていると推察されるが成分の特定はできていない。したがって、さらなる検証を望む声も高い。また、イヌは聴覚も優れ、可聴周波数が40~47,000Hzと、ヒトの20~20,000Hzに比べて高音域で広い聴覚も持つ。犬笛(約30,000Hz)はこれに基づいている。
3:キイロショウジョウバエが、癌細胞を識別
嗅覚機能が優れた生物は多い。中でも果物に群がる小さな昆虫、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)は、癌細胞を識別できる嗅覚機能を有している4)。
受容体神経で覆われたキイロショウジョウバエの触角は、極めて低濃度の代謝物臭を嗅覚により認識できる。嗅覚性探知生物としてキイロショウジョウバエが優れているのは、その反応を行動に見るのではなく、カルシウムイメージング法を用いた蛍光センサーとして観察できる点にある。すなわち、キイロショウジョウバエの触角が反応すると、細胞内カルシウムが増加するため、この変化を蛍光で検知できるのである。
また、キイロショウジョウバエは、ヒトの病気の原因遺伝子として知られている遺伝子の61%を保有しているため、分子生物学分野ではモデル生物として重宝されている5)。
誤解されることが多いが、ショウジョウバエは自然界では熟した果物類や樹液もしくは天然の酵母類を餌とし、酒や酢に誘引される。しかし、糞便や腐敗動物質といった汚物には接触しない。
4:アフリカオニネズミが、結核症患者の痰を嗅ぎわける
タンザニアに生息するアフリカオニネズミ(Cricetomys emini, 英名:Giant pouched rat(ジャイアント・ポーチド・ラット))は、訓練により人の喀痰(かくたん)の中に潜む結核症臭と他の菌症臭とを87.9%の精度で嗅ぎ分け、塗抹顕微鏡検査と比べて31.4%高い確率で結核を発見できたという報告がある6)。 嗅覚能が高いアフリカオニネズミは本来、2,4,6-トリニトロトルエン(TNT)の匂い検出を主体に地雷検出に訓練されていた。APOPOの創設者Bart Weetjensは、結核患者の息と痰がタール臭を持っていることを知識として知っており、その応用を試みた。
結核(TB)は世界の死因トップ10の1つで、地球人口の約4分の1が潜在性結核を持っている7)。2017年は1000万人が結核に罹患し、160万人が死亡した(HIV感染者30万人を含む)。また同年に推定100万人の子供が結核に罹患し、23万人が死亡した(HIV関連の結核を有する子供を含む)。また結核菌に感染した人は、結核に罹患する生涯リスクが5〜15%といわれる。しかし、HIVや糖尿病、免疫低下症の患者、喫煙者、栄養失調の人では発症の危険性ははるかに高くなる。
さらに、人が活動性結核疾患を発症すると、症状(咳、発熱、寝汗、または体重減少など)が何か月もの間、軽度になることがある。これはさらに治療を遅らせることとなり、その間、他の人に細菌が伝染する。活動性結核を持つ人は、1年の間に密接な接触を通して10〜15人に感染させる可能性がある。適切な治療をしなければ、平均して結核を有するHIV陰性者の45%および結核を有するほぼすべてのHIV陽性者が死亡すると推測される。このような見地から、一人でも多くの活動性結核症患者の検出を高めるスクリーニング法は意義が高いといえる。
患者の喀痰を顕微鏡下で観察する塗抹検査は、現在アフリカなど資源の乏しい地域で用いられている最も一般的な結核診断の検査であるが、診断の正確性に欠ける、結核菌を見落としやすいなどの欠点がある。このため既存の診断技術を補完できる、安価で効率的なスクリーニング法の導入は有用性が高い。通常、喀痰塗抹検査では、結核菌を視覚的に検出するが、ラットは結核症特有の臭気を追求する点において、診断確証の高さおよび作業の効率性など両者の特性が見られる。
Poling Aらは、公表された10件の研究をレビューし、顕微鏡検査後の二次的TBスクリーニングにラットを使用すると新規症例検出を実質的に増加させることを示唆した8)。小児およびHIV陽性患者の結核を検出するラットの能力や一次スクリーニングに使用した場合の結核の検出、および費用対効果を主体に考察し、広範な用途への有用性を確認するためにはさらなる研究が必要と評価した。
近年では、痰採取が困難な小児結核での検出を、訓練を受けたラットが有意に増加させ、小児結核の診断課題に有益な情報提供の可能性を示した。また、喀痰塗抹検査は陰性例の判定に多くの時間を要するが、ラットの判定スピードは早い。その実際の働きぶりはYouTubeでご覧いただきたい9)10)。
5:鳥インフルエンザに感染したマガモの糞便臭をマウスが嗅ぎ分ける
多くの疾患において罹患後の体臭の変化は知られているが、疾患関連の体臭研究のほとんどは寄生虫や特定のがんに関係したものであり、ウイルス性疾患については少ない。この要因としては、実験に用いる動物モデルシステムの少ないことが挙げられる。
本項では、他の項と違いマウスの検知能の評価ではなく、マウスを用い、鳥インフルエンザに感染したマガモの糞便臭の変化を突き止めた例を述べる。これは、これら嗅覚機能の優れた動物によるウイルス性疾患への応用の可能性を示すものである。
モネル化学感覚研究所と米国農務省のチームは、鳥インフルエンザウイルス(AIV)に感染するとマガモ(Anas platyrhynchos)の糞便臭が変化することを発見した11)。行動研究では、近交系C57BL / 6マウスを標準的なY字型迷路で訓練し、非感染対象から収集した糞便の糞便臭と比較して、低病原性鳥インフルエンザウイルスに感染したマガモから収集した糞便から発生する匂いを識別した。感染後の糞便と感染前の糞便が対になった場合、マウスは糞便臭に基づいて個々のマガモを感染と非感染に区別することができた。AIV感染を示す化学マーカーを同定するため、糞便試料をガスクロマトグラフィー/質量分析法を用いて動的ヘッドスペースおよび溶媒抽出分析にかけたところ、AIV感染が糞便中のアセトイン(3-ヒドロキシ-2-ブタノン)の顕著な増加と関連していることが示された。これらの実験は、ウイルス感染に関する情報が糞便中に存在する揮発性代謝産物を介して存在することを実証した。ウイルス感染後の臭気の変化は、感染した個体に暴露された同種の行動を調節する役割を果たすのかもしれない。
6:ミツバチの優れた嗅覚機能
昆虫ではハエと同様にミツバチも高度かつ敏感な触角を持ち、褒美に砂糖水を与えると驚くほど容易にかつ短期間で訓練ができるという。
昆虫のゲノム解析は、遺伝学研究分野でモデル生物として広く使用されているミバエ(Drosophila melanogaster)が2000年に、マラリアを媒介する蚊(Anopheles gambiae)が2002年に、ミツバチが(Apis mellifera)2006年に完成している。ミツバチは昆虫としては3番目にゲノム解析が完成した12)。
ミツバチは匂いの検出にアンテナを使い、そのアンテナに170個の匂い受容体、または化学受容体を持っている。ミバエは62の受容体を、蚊は79の受容体を持つ。ミツバチは昆虫の中でも高い匂いの受容体数を持っている。このためミツバチの嗅覚は非常に敏感で、飛ぶ香りの痕跡を検出することができる。
ミツバチは花粉が豊富な花を効果的かつ効率的に見つけるためにこの能力を装備しており、匂いがアンテナ上で検出されると、ミツバチの超敏感な嗅覚経路が情報を処理し、花粉を探すため匂いの関連性を判断するといわれている13)。ミツバチは食べ物を見つけるだけでなく、他のミツバチを見つけるためにも嗅覚を利用する。
ミツバチは約2億6千万のDNA塩基対ゲノムを持ち、ヒトゲノムの約30億塩基対と比較するとサイズ的には8.7%にすぎないが、ヒトゲノムの半分近くの遺伝子を有し、ヒトの約20,000の遺伝子と比較して10,000以上の遺伝子が含まれている。
すでに、イギリスのインセンティネル(Inscentinel)社では、ミツバチの嗅覚機能を空港でのセキュリティチェックとして実用化している。携帯サイズの小型掃除機のような探知機の中に36匹のミツバチを設置し、鞄など検査対象物にかざして空気を吸い込むと、中のミツバチが特定の匂いに反応した場合は口吻を伸ばす。その動きは探知機のスクリーンに送られ、爆発物など特定の匂いに何匹のミツバチが反応したかが即座に分かる。反応したミツバチが多ければ、その乗客はさらに精密検査を受けることになる。
これらの医療分野での応用例としては、診察までの待ち時間が長い医療機関の待合室において、感染力の強い重篤な感染症患者の有無や特殊薬物中毒者の検知モニターとして、患者間および医療従事者への伝播防止や、医療機関のセキュリティチェックなど、監視カメラでは検知できない内包物の検知モニターとして、働いてもらえるかもしれない。
7:低血糖昏睡を検知する糖尿病アラート犬
糖尿病患者は、インスリン療法を継続している場合や抗生物質投与時、急速に過剰な低血糖状態を生じることがあり、それは命に関わる危険な状態となりかねない。このような事態が生じた場合は、迅速かつ適切な処置が必要となる。しかし、患者によっては無自覚な夜間就寝時に低血糖状態を生じることもある。そのような事態への対応策として、人の1,000倍の嗅受感覚器数を持つ犬を訓練した糖尿病アラート犬がいる14)15)。犬は鋭い嗅覚で低血糖状態を嗅ぎ分け、深夜就寝中の患者や外出先で飼い主に異変が生じたことを知らせるように訓練されている。
このとき犬が検出する臭気はイソプレンである。イソプレンは人の呼気や植物、また工業的にも排出される一般的な天然化学物質であるが、発せられるメカニズムは不明な点も多い。コレステロール産生の副産物と考えられているが、低血糖時になぜ増えるのかもよく分かっていない。特別な訓練を受けた犬は、人の呼気中のイソプレンを嗅ぎ分けることができるが、犬の訓練は犬への負担および訓練技術や設備、費用が掛かるためイソプレン検出機の開発が望まれている。
『イソプレン(isoprene)は構造式CH2=C(CH3)CH=CH2の、二重結合を2つ持つ炭化水素。ジエンの一種。IUPAC命名法では2-メチル-1,3ブタジエン(2-Methyl-1,3-butadiene)と表される。分子量68.12、融点−145.95 ℃、沸点34.067℃。室温では揮発性の高い無色の液体で、ゴムもしくは都市ガス様の臭気を持つ。』
(ウィキペディア(Wikipedia)「イソプレン(isoprene)」より引用)
イソプレンは多くの種類の樹木によっても生産され大気中に放出される。イソプレンは人の呼気中で測定可能な最も豊富な炭化水素である。人体におけるイソプレンの生成率は1時間に15 μmol/kgである。
まとめ
臨床検査では、人間が視覚的に鑑別する細胞形態や直接検知できない物質、同定できない物質を、直接または化学反応後に分析機器を用いて検知する。もしくは物理科学的分析機器により分析した出力信号を変換もしくは増幅して指標物質を検知する。大半は最終的に視覚情報へと変換するが、中には染色・呈色後に検知する場合もある。アリストテレスは霊魂論で、人の感覚を視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つに分類した。これは五感として広く知られている。しかし、現在ではそれ以上の数の感覚が存在することがわかっている。今日では、五感はそれぞれ異なる感覚同士が協調し合い有益な情報を発していることが解明されている16)。また、生命維持に不可欠な感覚の一つが欠落した場合、欠落した感覚の代償として別の感覚が研ぎ澄まされることも解明されている。
生物が持つ特殊な感覚としては、コウモリやクジラが持つ「反響定位(エコーロケーション)」、サメ、エイ、ナマズが持つ「電気感覚」、帰巣本能を持つ伝書鳩や渡り鳥が持つ「磁器感覚」、マムシやボアなど一部のヘビが持つ「赤外線受容器」などがある。また、ヒトの可視光は380~780nmといわれているが、チョウなどの昆虫は紫外光を見て蜜を採取する。
この他にも生物は独自の優れた感覚器を持つ。多種多様な優れた知覚を有する生物は数多く、その活用は無限かもしれない。しかしその反面、生物を直接分析体として用いるには飼育、衛生管理、環境問題、生物の体調、試料の課題、生物の反応挙動評価法などと同時に定量的検知の課題などを残すため現実的には困難な面が多い。ただ、今日ではカルシウムイメージング法などに代表されるイメージング技術や遺伝子工学の進歩により、ほぼ純粋な生物センサーとしての機能への応用も不可能ではないと思われる。
分析機器に囲まれた検査室の現在の環境下では、生物の検知能力を駆使した検査体系は想像し難い。一方、現行の検査体制は、資格と訓練を重ねた専門の臨床検査技師一人(稀には数人)の分析、もしくは分析機器による標的物質1回の分析である。これに訓練を終えた、異なる検知能を有する生物機能を駆使した結果を補填することは、病態を捉えるという見地からは有意性が高まるのではないだろうか。
また、現状のセンサーでは検出が困難な分野、もしくは人には検知できない成分の検出に他の生物の機能を借りることができれば検出分析は一歩大きく踏み出せる。さらに、検診やスクリーニング検査に、主目的の疾患以外にも健康保持に必要な他の疾患群の検出も同時に組み込めるかもしれない。これらは、生物が検知する鑑別物質が同定され、濃度的に同程度以上の検知感度が得られる分析機器が開発されるまでの一時的な措置か、または異分野の疾患検知法と捉えるべきかについてはさほど問題ではない。
またこれらは疾患鑑別だけでなく、病院の待合室、処置室、救急車内などにおける作業従事者、医療従事者などの感染防止やテロ事件などにおける被害患者からの毒物拡散防止など応用性は高い。 近年は「人工の鼻」「電子鼻」「ガス・センサー・アレイ」などと呼ばれる物質分析機器の開発が盛んであり、急速な進展が見られる。特に培養細胞や吐息中のがんの腫瘍マーカー検出への応用が盛んである。現時点では、性能的には研究・開発者らの高い要望をもう一歩、満足させうるものではないが、急速な改善を遂げながら研究改良が進展し、完成域へと近づきつつある。
犬は1兆分の1の濃度の中から匂い物質を識別できるとされ、それよりもさらに精度の高い電子鼻の開発が望まれている。キイロショウジョウバエ研究者の、独コンスタンツ大学のジョバンニ・ガリツィア氏は「今のところ、自然界の嗅覚器官の方が電子鼻よりずっと優れている。生物の世界から学ぶことがまだまだたくさんあり、電子機器と自然の力を組み合わせたハイブリッドシステムも考えられるだろう。」と話している。
今日では、ペットと共に生活している動物愛好者は多い。ペットは一緒に生活する中で多くの異変を検知していると思われる。しかし異変の正体、事態の危機感、伝達法が判らずに困惑しているのかもしれない。時折「私はイヌの○○に助けられた」とメディアに紹介されるのはこれらがうまく連結した事例の1つかもしれない。もしかすると訓練によっては、私たちは高感度な分析機器と同居していると考えてよいのかもしれない。
参考文献・web site
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イラスト/菅原 智美
2020.01