SOLUTION
検査室支援情報
精度管理の考え方
7. 測定系の数学的な統計的管理状態
これまで議論してきたように、測定系の精度に関する性能をいうとき、濃度が未知である一つ一つの患者試料について、それぞれの誤差をいうのは困難を伴う。このため、系の測定状態を数理統計学的なデータで示し、モデルを利用してその信頼性を間接的に表現する方法をとることに着目した。
数理統計学的なモデルを当てはめるには、ともかく測定系を安定な状態で運転し、その状態でデータを得なければならない。すなわち、機器装置のメカニカルな面でも試薬系を主とするソフトの面でも、理想的な状態に整えられていなければならない。もちろんここでいう測定系には、担当する臨床検査技師も含んでいる。
測定系がそうして理想的な状態で運転されているとき、数理統計学上、作業の「均一性」を仮定することができる。その状態では、一切の傾向がない測定値を得るものと考える。
このような理想的な作業において、一つの試料を多重測定する際、そこに【避けることのできないバラツキ】をみると考えるのが数理統計学での扱いである。
7.1 統計的な管理状態についての解釈
「臨床検査の測定値は、理想的な状態で運転されている測定系から得られたものでなければならない」ということを、「臨床検査の測定系は定められた限界内で再現しうるものでなければならない」と解釈するなら、臨床検査技師は、自分に与えられた分析作業の流れで、続いて新たに測定される試料の測定値に対し、それらの誤差を予測し、必要な信頼性を与えなければならない。このことはさらに、優秀な臨床検査技師としての役割について、自分の担当する測定系に関し、そこから得られた測定値が指定された誤差範囲に入る割合を予測するとき、最小の誤りで予測できなければならないというように解釈できる。
このことは、測定を担当する臨床検査技師の精度管理上の責任について、次のことを意味するだろう。
- 与えられた経費でまかなえる範囲のもので、バラツキをもっとも小さくできる測定系を含んだ測定作業の設計
- 測定系が管理された状態にあることを最小の誤差で予測するための方法をもつこと
これらは、すなわち、測定作業の管理状態について、物理的な作業の流れを科学的な目で見ることが要求されるとともに、他方では管理状態を示すデータの数学的な解析を要求されることを意味する。
さらに、管理体制をとっていると明言し、誤差を予測するために分布の理論を利用しようとするなら、測定値は明らかに理想的な統計的管理状態を達成している系から得られたものでなければならない。たとえ、統計学上の手法を用いて計算がなされているといっても、統計的管理状態にない測定系から得られたデータは、どのような型の分布理論もそこには存在しない。
むしろ、数学的手法に頼る姿勢を捨てて管理状態そのものを実質的に見る態度が重要である。
7.2 ランダムであること
抽象的に統計的な管理状態では、一つの試料を『無限回測定することによってみられる、【避けることのできないバラツキ】があり、それは「ランダム random」である』という。
ランダム randomは、日本語で「無作為」 と訳される。ときに「デタラメ」あるいは「確率的」と訳される。
これから、話を進める上で、「ランダム」であることを理解することは、とても重要であり、間違った理解は精度管理に対する間違った考えを持つことになる。正しく理解したい。
例えば、「順序を付けること」のできる一群の数値を次のような対象系列で見てみよう。
(系列1)4.95、4.98、4.99、4.99、5.00、5.00、5.02、5.03、5.03、5.04、5.04、5.04、5.05、5.06、5.08
一つの試料を多重測定したとき、測定結果がこの15個の数値のような並びで得られたなら、この測定値の「配列」には「ある傾向」が感じられるに違いない。測定値の数字がだんだん大きくなっているからである。この測定値の系列は、ある傾向がみられ、それ故に作為的なものがある可能性を否定できない。
例えばこの例の場合、具体的に測定装置を点検してみると次のような問題が残っていたことが判明することがある。
その測定系には、37℃で5分間反応させるというプロセスがあって、装置内の恒温槽の温度が所定温度になるのに時間を要するにもかかわらず、これを確認せず見切りスタートしていたために、測定が続く中で反応温度が上昇し、系列1のような測定値が得られた。
信頼できる測定結果を得るために導入する精度管理の手法では、まず第一歩において単純な過ちを引き起こす原因を明らかにし、それら妨害因子すべてを排除することから始めなくてはならない。その結果、高い再現性が得られる測定系が保証できるようになる。そして、同じ試料を何度繰り返し測定しても同じ測定結果になることが期待できる。同じ結果、というのは全く同じ数値であるということを意味するのではない。ある一定の範囲で数値にバラツキのある測定結果が得られるのだが、その範囲が狭いということである。さらに重要なことは、たとえそのバラツキの範囲が狭くとも、<系列1>のような一定傾向がうかがえるものではなく、それが出力される順序で並べられたとき、数値の並びにある傾向が見られず、数値の大小はデタラメに並んでいる状態が確率的であり、統計的な管理状態であるという。
系列1のような測定値の並びが結果で得られたときは、その測定系が「統計的な管理状態」に達しておらず、測定系の統計的な「バラツキ dispersion」あるいは「精度 precision」を計る準備が整っていないといってよい。
繰り返せば、同一の試料を無限回測定して得た測定結果の数値を見ると、そこにはある種のバラツキが見られる。測定値の均一性をいうとき、精密さとして、このバラツキを確認することになる。
さて、この「均一性」を数学的なモデルに関連づけて確率的な意味で予測し、さらに引き続く測定においても、このバラツキの範囲内で、測定結果を再現できれば、「統計的な管理状態」にあることの確認ができる。
「統計的な管理状態」では、測定に関わるあらゆる条件を臨床検査技師が一定に保とうと努力し、すべての変動要因を「管理下におく」ことが求められる。測定値のバラツキを見るとき、「管理された状態」ではバラツキの原因はおそらくすべて排除され、可能な限り本質的に同じ条件で測定が繰り返されている。
しかし、このような状態を継続する努力を行っても、なおかつ測定値が全く同じ数値にならないことを我々は経験的に知っている。「統計的な管理状態」の下で「均一性」を達成することは、努力してもなお残るこのバラツキを議論し、可能な限り低減することである。
この目的を達成するために我々は測定系の精度管理を実施しようと目論むのであるが、バラツキを観察し解析するために、バラツキの状態を正規分布などの数学的モデルで定義しようと考えている。数学モデルを利用することによって、測定値が持続的に「ある限界内で再現できる」ことを仮説として推測することが可能である。
<系列1>で挙げた、たった15の測定値によって、これに続く測定値にも規則性が連続すると予測するのは実際のところ不可能である。もちろん、<系列>1のように数字の大きさの順に並んでいる「部分」を無限系列の中の一部として取り出すことができる「偶然 chance」を認めることも我々はできる。とはいえ、それが真にランダムな系列であれば、そういう偶然は、測定を無限に行っているうちに崩れてしまう。こうした類の延長された偶然性は経験としてテストできない(カール・ポパー:客観的無秩序または偶然性. 大内義一、森博訳:化学発見の論理 Vol. 2 p438-441、恒星社厚生閣 1972)。
ランダムな系列を証明しようとするなら、ランダムな並びを持った系列を序数として与えなければならない。これは循環論で出口のない議論である。さらに、この証明が甚だしく困難なことは、真のランダム性が無限系列で抽象的に達成されるだけだということである。
我々が現実問題としてできることは、十分注意して自分が反復測定した順序のある測定値の系列に対し、排除しうる傾向や逸脱の原因を探すことであり、この目的を持ってテストすることである。
抽象的に定義されたランダム性を、具体的な作業で達成する努力はこれまでも多く試みられてきた。(増山元三郎:デタラメの世界 岩波書店 東京、1969)その一つとしてチップによる実験を取り上げてみよう。
これは、直径1~2cm程度の均質な円盤のチップを用いるもので、表面には目的にあわせた数字が書かれている。たとえば、正規分布に関するモデル実験をするには<表:チップの例>のような数字が使われる。
表:チップの例
チップに書かれた数字 | 枚数 |
---|---|
-5 | 1 |
-4 | 3 |
-3 | 10 |
-2 | 23 |
-1 | 39 |
0 | 48 |
1 | 39 |
2 | 23 |
3 | 10 |
4 | 3 |
5 | 1 |
合計 | 200 |
このチップは、平均値0、標準偏差1.715の正規分布モデルを再現できるように計算されている。チップはこのほかにもさまざまな分布モデルに合わせたものが準備される。実験をしようとするものは、この200枚のチップをすべて深めの鉢に入れ、目をつむってそこから全体をかき混ぜ、好きなものを1枚取りだし、チップに書かれている数字を記録する。それがすめばチップをまた鉢に返し、同じことを繰り返す。チップを鉢に戻すのは母集団として無限個の数値を想定するものである。
これは、チップを取り出す作業がランダムならば、取り出されたチップにかかれた数値を標本とする標本集団は、取り出された順に見るとき数値の大きさがデタラメに並び、また母集団の1つ1つの数値が均等な確率で取り出されてくるので、母集団の統計上の特徴を反映するという実験である。この実験でランダムさを可能にするのは、まず全体を底の方からかき混ぜる行為により、チップの塊の中で最初どの位置にチップがあっても秩序なく別の位置に移ってしまうということ、次に目をつむって取り出す行為によって作為なく1枚のチップがつまみ上げられるということである。これらの乱雑さへの寄与は毎回無作為に行われる限り、どれかある特定のチップが優位につまみ上げられると期待できない。
またしばしば、さいころの例がランダムさの実例としてあげられる。1~6までの印が表面に刻まれた正立方体のさいころを作為なく投げるとき、出る目は1~6のいずれも均等になる、というものである。この事実によって“6”の目の出る確率は1/6であり、それは“3”の目が出る確率1/6とも、またそのほかのいずれの目が出る確率とも等しいというものである。すべての目が出る確率をいずれも1/6と期待できるのは、さいころを投げる前に手の中で不規則に振る行為と、投げられるときの放出角度や加速度が一定ではないというランダムさに加え、さいころの重心が真の中心にあって立方体に偏りがないという保証があるときに限る。
7.3 標本と母集団
ある量が多数の因子によって影響を受け、それらの因子による変動はそれぞれわずかであり、しかも各因子はすべて相互に独立であるようなとき、多重測定によって得られる測定値にはランダムなバラツキが見られる。すなわち、測定系が標準化され、統計的管理状態を達成しているなら、「無作為な状態」に至っており、実際にその測定系から得られる実測値としての測定結果は、「標本」sampleと考えられる。
数理統計学では、このように経験できる範囲で得られた有限個の測定値から出発して、何らかの意味がある結論を引き出すことを目標としている。標本の数は、多いこともあり少ないこともある。
さらに測定操作を際限なく、無限に繰り返した場合に得られるだろうと想像する測定値の集まりを「母集団」populationと呼ぶ。すなわち、理論的なモデルを考え、測定値が無限個あると抽象するとき、その測定値の極限的な集まりを母集団という。
モデルとしての母集団と、具体的な実測で得られる測定値をつなぐ関係は、「無作為(ランダム)」さであり、無作為抽出random samplingが保証されるとき、測定値の集まりからモデルを仮定することができる。この保証は、徹底した統計的管理状態の達成である。